2020/09/30 01:26

この映像を初めて観たのはいつだったかな


人を諭すような歌い方だなとそのとき思った。


それは今観ても変わらない。





詩を創るとき


韻を踏む言葉を探しているうちに、詩そのものが何処かへと導かれてゆく


ということはありそうな気がする。


考えてみれば、絵を描くことも同じだなって


大抵の場合、ラフスケッチがあって、それを基に制作を進めていくけれど、


描いている途中で、いろいろな思いと想いに出会い絵に内包されてゆく  


取り込むべきもの、そうではないものもある。


描き始める前と描き終えた後では、住んでいる世界が違っている。





選択




日々の暮らしの中でも、分かれ道は何度も目の前に現れる。


右か左か







どうやら僕は最初の選択を間違ったみたいだ


もっと早く夜を遣り過ごすことができたかもしれない


二人を「今」に連れてきたのは、この僕だ。


正しいことが正しいとは限らない


知っているはずだったのに






先日、読み終えた「ジョン・レノン / ビートルズ革命」の中で、


「ディランは詩に二重の意味を持たせることで精神のバランスを保っている。」とジョンが言っていた。


それを読んで救われた気がした。







かの女はどこか、翼を傷つけ

ぼくの窓辺で休む鳥に似ている