2021/09/11 13:04


昼の一刻にのみ夏が居座り


風が吹けば、その僅かな夏も押し流されてゆくようで



感傷的な季節は、すぐそこに在るようです。




僕はその秋が一番好きなんだけど、


Tシャツの制作を生業としてからは、ほっと一息をつける安堵感に混じって、何処となく寂しさも感じるね


夏が過ぎ去るときには





さて、このようなタイトルでブログを書くのは、初めてですが、


その通りに、9月末日にてオンラインショップを一旦closedとします。


理由については、前々回のブログに書きましたので、ご関心があれば一読して頂ければと思います。





また、SALEについても、コンティニュームの考えをお伝えしておかなければと思った次第






「売れ残ったものを割り引いて提供する。」


季節の終りにみられる「自然な現象」として、子どもの頃は特に違和感を覚えることもなかったけどね


売り手買い手共にHAPPYなわけだから


今や大手ブランドなどは、一つの季節の中で何度もSALEをすることが当たり前となり、


仕組まれたSALE


SALEの為の生産


などもあるわけだから、ほんと混沌とした時代です。






コンティニュームが、オーガニックコットンを素材として選択し、


一枚一枚のTシャツに自らの手を加えることをテーマとしたのは、


このような過剰な生産への対立命題なわけだから、




SALEはしません


となります。




何よりも買って頂いた方に申し訳ない


というのが第一かな


それに、季節毎にラインナップを丸ごと入れ替えなければならないブランドとは立場も違えば作る量も違う


そんな訳で、何度も言いますが、




SALEはしません




とは言え、過去に二度SALEをしたことを明らかにしておこうかと


一度目は、反応染料から天然染料へと移行したとき


これは、大きな転回点だと感じ、此処テアトロで


丁度近くに来ていた自然農を営むご夫婦がやって来て、


頑張っている妻に一枚と


結局、売れたのはこの一枚だけだったけど、笑


何だか僕までが幸せな気分になったことを記憶しています。


二度目は、お世話になっていたメキシカン・レストランの周年パーティーに出店させて頂いたとき


特別な場所・特別な時間の中


そんなSALEだったらいいかな




今後も何処かで機会に恵まれましたら







夏の終りに必ず聴こえてくる曲


Boys of Summer




「俺はサンディエゴ・フリーウェイを運転していて、21,000ドルのキャディラックセビルの横を通り過ぎた。これは右翼のアッパーミドルクラスのステイタスシンボルだよ。そのバンパーにグレイトフル・デッドのステッカーが貼ってあったんだ。」


自由と平和への憧れ、その実現を目指していたのに、何も出来なかった喪失感ということだろうね


「一つの時代が終わったと感じた。」と、85年NMEのインタビューに答えている。


「僕らが充分に何かを成し得たかなんて信じていないんだ。ケネディのときには誰もが一度は信じたと思うけど、僕らが何をしたかよく見てご覧よ。60年代はまるで地獄のような時代だっただろ。それから70年代に考えついたことは何だった?ニクソンやレーガンの時代さ。この国は以前に逆戻りさ。率直に言って僕らはちっとも変わっていないんだ。歌詞の最後の一行はそのことを言っているんだ。」


これは87年、ローリングストーン誌のインタビューに答えて


ただのラブソングではなく Don Henley らしく深い歌詞です。


またPVも素晴らしく、ときどき思い出しては観ていたのですが、YouTubeから削除されていました。


誰かの大人の事情というやつなのかな?


残念


同じように感じている人が、加工した形で残しているので、興味があれば観て下さい。





リリースは84年


あれから38回目の夏が過ぎていくところ


この夏も皆さまのお陰で良い夏となりました! 


徐々にではあれ"ORGANIC"な世界が広がれば良いね!


オンラインショップは、来年2月の再開を予定しております。


お楽しみに‼︎